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いきなり!ステーキの栄枯盛衰に学ぶ

2020.08.17

経営者

祇園精舎の鐘の声〜で始まる一説で広く知られる平家物語は約1000年前から人生の栄枯盛衰を詠んでいます。現代文がありますので訳してみますと、

 

祇園精舎の鐘の音は、諸行無常の響きがある。
沙羅双樹の花の色は、盛んな者も必ず衰えるという物事の道理を示している。
おごり高ぶっている人も長く続くものではなく、まるで春の夜の夢のようである。
勢いが盛んな者も結局は滅亡してしまう、まったく風の前の塵と同じである。

いきなりステーキの栄枯盛衰に学ぶ

いきなりステーキの運営会社は上場企業の株式会社ペッパーフードサービスです。

私はこの会社から学ぶべきものが多くて、これからの行方にも注目しています。今から約3年ほど前にSNSを中心に話題になっていた「いきなり!ステーキ」に行ってきました。店内は若年層を中心としたサラリーマンで賑わっています。ようやく空いたカウンターの隙間に身をねじり込んで自分の食卓を確保しました。その時感じたのが、スタッフの対応に好感が持てなかったことです。空いた席に案内される訳でもなく、カット場で注文とか言われても、初めての客にとってはカット場と書かれていてもそれがどこなのか気がつかないものです。

250gが税込で1000円ならまた行きます。たとえスタッフの愛想が悪くても(笑)1800円でももう一回食べたくなるような美味しさならまた行きます。残念ながらそのどちらでもなかったです。いきなり!ステーキの終焉の原因は他にもあると思いますが、あれから3年がたちブームが去った原因も私と同じ考えの方は少なからずいると思います。

なぜ運営会社のペッペーフードサービスは堕ちたのか

まずはペッパーフードサービスの歴史を見ていきます。

1970年 キッチンくにを向島に創業
この頃、細々と洋食屋をしてました。
1985年 レストラン事業開始
法人化して有限会社くにを設立。成長を続けます。
1994年 ペッパーランチフランチャイズ事業に参入
創業から屈折14年、ペッパーライスが大ヒットして陽の目を見ます。さらに勢いに乗って成長します。
2006年 東証マザーズ上場
ペッパーランチのFC化の成功でマザーズ上場です。山頂に登りました。
2007年 ペッパーランチ事件
成功の裏には必ず影がある。まさにその典型です。
この事件の影響で株価は急落し、第三者割当増資計画は失権するなどまさに天から地に堕ちた。
2013年 いきなり!ステーキ誕生
約5年以上にもわたり失墜した信用を回復させるため、ペッパーランチを基軸に様々な形態のフードサービスを手がけるがヒットは中々しなかった。この失意の中、一瀬社長がとあるセミナーで出会ったのが「俺のフレンチ」創業者の坂本孝会長です。
予約なしの立食いフレンチに共鳴して、安くて美味しい立食いステーキを思いついたんです。
2014年 外食アワード受賞
いきステの斬新なアイデアが受けて外食アワードを受賞しました。2度目の成長期です。
30店舗に拡大する。
2015年 店舗売上ナンバー1伸長率
ここからの破竹の勢いは止まりません。まさにイケイケどんどん状態です。
77店舗達成。
2016年 115店舗達成
開業からわずか2年で100店舗超えはマクドナルドやスターバックスを凌駕する勢いです。
2017年 東証一部上場指定・NY進出・「1000店舗計画発表」
まだまだペッパーの勢いは止まりません。止まるどころか出店が次々と相次ぎます。
ここまで来たら経営陣も周りも何も見えてない状態です。
この時、一瀬社長がマザーズ上場後に経験したどん底が教訓にならなかったことが悔やまれます。
2018年 300店舗達成・Nasdaq上場
この頃が2度目のピークに到達しました。
しかし、成功という光が当たれば当たるほど暗い濃い影がさすようになります。
もうまさに有頂天を絵に描いたような状態です。
Nasdaq上場を最後に2度とピークは訪れませんでした。訪れるどころか一歩先は崖でした。
2019年 490店舗達成・Nasdaq上場廃止
低迷期〜混沌期に入ります。
右肩上がりで成長してきたところで初の赤字を計上する。
Nasdaqはわずが1年で上場廃止となります。
2018年のピークを最後に2019年は転落の幕開けでした。
2020年 東証一部 注記銘柄入り
ペッパーランチ事業を売却。
いきなり!ステーキ188店舗閉店。
希望退職者募集。
アメリカ撤退。

急な店舗拡大と人材

こうやって50年の歴史を俯瞰するとある特徴が見えてきます。急激に上がって急激に下がるです。通常、成長曲線は緩やかに上がって緩やかに下がるものなんですが、ペッパーフードサービスには成長後の成熟期間がほとんどなく、急激に落ちているのが見てよくわかります。

その急激に落ち込んだ理由にも特徴があって、どちらも人材教育の欠如です。こう言ってしまうと元も子もなんですが、いきステのビジネスモデルはそもそもはあまり儲からない。外食産業でよく言われる原価率の指標は20%〜30%とされますが、ステーキの原価は60%〜70%です。ですから、回転率で稼ぐわけです。立食いスタイルと回転率は相性が良かった。

しかし、店舗数を増やしすぎてスタッフが不足し、教育の低下がサービスの低下を生む。さらに評判がSNSで拡散されるとリピーターが付かなくなり負の連鎖が始まるというわけです。

あと、経営者である一瀬社長のキャラクターも大きく影響していると思います。一瀬社長は若くして独立し小さな洋食店で苦労した。そうやって一つ一つ大きくしていってついには東証一部上場400店舗達成までいった。この功績は尊敬しますが、基本的に周りの忠告を耳にしないカリスマワンマン社長なのでしょう。この急激な拡大に警鐘を鳴らす幹部はいなかったのでしょうか。拡大させることに夢中だったんでしょう。

成功にはダークサイドがある

そしてやはり強く思うのは、成功にはダークサイドがあるということです。人間はどん底にある時はひた向きに上を見て頑張る、そして少しづつ光が差して成長し頂点に立った時、すでに濃くなった影は一番弱い部分で噴出する。一瀬社長が一番幸せを感じていたのは独立したての頃、向島で洋食店をやっていた時ではないでしょうか。お客さんが来ない日もあって挫折しそうになって不安の毎日だったでしょう。
でも、いつか大きくしてやるという希望はあって、夢に向かっていたはずです。夢は実現すると消えて無くなってしまいます。
夢を追いかけて無我夢中になっているその状態が本当の幸せなんではないでしょうか。夢の中にいることが夢中ということ。
だから、いつも一瀬社長は夢を追いかけていたんだと思います。一瀬社長の次の夢に向けて、また夢の中をかけぬけて欲しいと思います。

最後に、成功者である一瀬社長に苦言を呈するのは心苦しいのですが、人間ある程度うまく事業が進むと「勘違いした万能感」が出てくるのでは無いでしょうか。あの矢沢永吉氏もオーストラリア事業に失敗した時、「自分はなんでもできると勘違いした」とのちに証言しています。大変恐縮ながら、事業がうまく進んで家族も会社も社員も全てAllOkayの状態の時は、確かに投資に手を出したり、不動産を買ったりして、失敗してハッと冷静になって考えると「なんであんなバカなことしたんだ」と反省するもんです。私もその時は周りに苦言を呈する人間は誰一人としていませんでした。

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