リーダーは語尾が肝心
2021.01.14
とある古本屋で、書店の奥様と客の会話。
奥様「緊急事態宣言がまた出されるらしいで」
客 「あんなもん出したって一緒や」
奥様「わかっとるけど。なんか緊張感ないんやわ」
客 「それ管(総理大臣)さんが言うからちゃうか」
奥様「そやねん!あの人ほんま伝わらへんわ」
客 「原稿棒読みやしな。官房長官のままでええねん」
奥様「吉村さん(大阪府知事)が言うんやったら協力するけど」
客 「協力するって、、ま、家で本読んで大人しくしとくわ」
奥様「うん、それがええわ」
伝える時に避けること
この会話を聞いていて、自分が感じたことが、すでに共有されていたことに安心感みたいなものを感じました。聞く人に「どう伝わって」「どのように解釈されるか」それを伝えるのに何が重要なのか。また、なぜ伝わらないのか、関心、興味、共感、愛を感じてもらうには、どうしたらいいのかを再考するきっかけになりました。
話の上手い人、下手な人、苦手な人、色々います。我が国のリーダーは決して饒舌ではない。話が下手だからトップとして適任ではないと言うことではありません。他は卓越した能力や才能、運がありながら、話が苦手。ただそれだけ。
ここでは話しの「上手い」「下手」の問題ではなく、今、未曾有の危機下において、どのようにして「想いを国民に伝えるか」ということをリーダーが伝える角度を考えないといけないということです。このお粗末な「伝える力」では、国民の絶望や不安を増長するだけです。
これは話すと言うスキルの問題ではなく、ハウトゥーの問題です。アナウンサーである必要はない。上手に話さなくてもいい。噛んでもいいし、声調が上ずってもいいので、まずは、大事なことを伝える時に避けることを意識してほしいのです。
語尾に「思います」はだめ
不要不急の外出などは控えていただきたいと思います。
専門家と協議しながら検討して参りたい、こう思います。
この「思います」は、日本人がよく使う表現です。
「強化を図ります」
「控えてください」
「危機を乗り越えます」
「希望をお届けします」
と短く強く言い切ればいいなのに、ついワンクッション置いてしまう。これでは、自信のなさ・責任逃れと言う印象を持ってしまいます。
「やりぬきます!」ではなく、「やりぬきたいと思います」では真剣度が全く違う。前者は覚悟で、後者は逃げたいと言うニュアンスが隠されています。
想いは語尾に宿る
リーダーには言い切る勇気が必要です。排除すべきは「思う」だけではありません。「非常に厳しい状況だと認識しております」や「心から感謝を申し上げる次第です」というように、直接的な表現を避けるクセを持つ人が多いです。しかしながら、これは日本人特有の奥ゆかしさとか、相手に対する気遣いのような国民性という面ものぞかせます。
関西人を例にとってみますと、関西人の表現は擬態と直接が特徴です。
「まっすぐズドーン行って、左ゴーン曲がったら右にあるわ。知らんけど」
「めっちゃ厳しい状況やで。知らんけど」
はっきりズバッと言うけど、最後に「知らんけど」で中和させるところがあります。突飛な例ですが、「思います」とワンクッション置いて中和させるのは、日本人特有の表現方法なのかもしれません。
伝えるには熱意が重要
リーダーが組織や個人に対して想いを伝えようとするならば、日本人特有の表現は回避する必要があります。リーダーのコミュニケーションにおいて重要なのは、「何を伝えるか」だけではなくて、「どんな思いを伝えるか」がカギとなります。相手の気持ちに寄り添い、その苦悩を分かち合うリーダーには支持されます。
一方的に顔色変えずに、棒読みで伝える「教官型」から、感情を揺さぶる「共感型」へと求められるリーダー像が変わってきています。「伝える」ことはテクニックやうまさではありません。熱意です。もちろん伝えるからには、なぜ伝えたいのかという本質とロジックやエビデンス、ファクトなど説得する根拠は必要です。それらを無視して熱意だけが先行してしまうと、昭和の熱血ドラマになってしまいます。私がここ最近で共感と感動で心が揺さぶられたスピーチを紹介します。
ドイツのメルケル首相。
メルケル首相演説: 2020年12月9日ドイツのコロナ状況
自分が経験した事実やユーモアを織り交ぜながら、拳を振りかざして訴える会見は共感と感動を誘います。
誰もがこのような会見を簡単にはできませんが、「語尾」を気をつけるだけで伝わり方も違ってくるはずです。
「世界最高の話し方」東洋経済新報社 岡本純子著より一部抜粋